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●●ドクター紹介 …稲田 美紀 先生(橋場診療所 医師)

稲田医師
「人を丸ごと診る」家庭医を目ざして

 名古屋市の中央部鶴舞公園に近い市街地に祖父母・父母・妹の大家族の中で育つ。都会っ子である。医師暦10年と聴いて「えっ!?」と訊き直す若々しさである。研修医と間違われたりするらしい。ともあれ5歳で医師への道が指し示されたというから運命の神は早々と手を打たれた。

 おたふく風邪の罹患者の2万人に1人程が片側の聴力を失う。その1人に選ばれ、以来、左耳は全く聞えない。片耳が聞えていることで本人も周囲も気付かず、長く経過する例も多いという。同居の祖母に出先から電話した幼女は何も答えない祖母を訝った。左の耳に受話器を当てていた。

 異常に気付いた母はあらゆる名医を尋ねて診察を乞うたが、蝸牛の神経がウイルスに侵されているので聴力の回復は不可能と告げられる。だが、絶望する母子に名古屋大学の医師は言った。「でも、このお嬢さんが医者になることも可能ですよ」と。この一言が母親の心に灯を点した。医師になれとは言わなかったが「医者にはなれる」といわれた安堵を口にした。子の持つ可能性を信じ、興味を示す物は体験させてくれた。絵を描くことや昆虫を集め調べるのが好きな少女期を過ごす。母とはよく美術館・博物館に行った。小学校3年生まで通ったスイミングではやさしいおばあちゃん先生の指導を受けた。エライ先生と聞かされていたが前畑ガンバレの前畑先生だとは後で知った(結婚されて兵藤先生と呼ばれていた)。今でも泳ぎは得意の由。

 小学校の卒業文集に「お医者さんになりたい」と書いていたがはっきり決めたのは高校時代。「人が好き。人の役に立ちたい」と考えると幼少時からの思いを貫く結論になった。三重大学医学部へ進む。かかりつけのおばあちゃん医師を理想に描き、細分化され「病気を診て人を診ない」大学病院のあり方の齟齬に悩んでいたところ、「人を丸ごと診る」という「家庭医」の存在を知った。卒業後は家庭医を目指し同大学の総合診療科(家庭医療科)に勤務。 。

 10年目を迎え、自ら理想に向けて舵を取り直そうと家庭医療を提唱する恩師・藤沼先生の助言を得て、より地域に根ざした家庭医療の実践を、と、10月より橋場診療所勤務となる。

 地域の組合員さんが歓迎会を開き、喜びと期待を以って迎えてくださったことに感謝。先人のおかげで今生きている者として地域の方々のお役にたてる、寄り合い所のような温もりのある診療所にしたいと語る。華奢な見た目とは異なる芯の強さが覗く。

 お年寄りが好き。賑やかな都会が好き。祭りの多い浅草は気に入っている。浅草在住。竜泉診療所でも週1日診療と往診に当たる。

聞き手*編集委員