ニュース&トピックス

●●ドクター紹介 …山さき(*)広樹 先生(東京健生病院外科副部長)

山崎医師
「最後まで健生病院でお願いします」と云う、患者さんの信頼に応えたい

 九州は長崎県対馬の生れ。福岡港から玄海灘を経て対馬海峡を渡る離島である。「自然しかない」といいたくなるような海の幸、山の恵みに囲まれて中学卒業までを過ごす。
 父は中学校の教師だったので家でも学校でも部活のテニス部でも顔を合わすと云う濃密な関係で、ぶつかることもあったがしっかり受けとめてくれる存在でもあった。自立したい気持ちが強く類縁の無い福岡の高校に進学。妹を出産後、入退院を繰り返していた母のことは常に頭にあり、その思いは母の病を治すために医者になろうと云う意志になって福岡大学医学部への入学を果たす。しかし入学式の翌日母は他界。喪失感、無力感、目的を失いぼう然とした状態を救ってくれたのはテニスだった。思い切り体をいじめてプレーして辿りついたのは「母と同じような人々のために」と云う意識だった。
 東京保健生協との出会いは大学二年の時、東京健生病院からアプローチがあり、上昇志向と遠い都会へ行ってみたいと云う田舎者意識(本人談)から病院体験を申し込んだことに始まる。しかし、初めて東京健生病院の前に立った時はあまりの外観に唖然とし「思わず帰ろうかと思った」。一週間の病院体験の中で人の温かさにふれた。前号の小欄で触れた如く、大学入学と同時に岡部青年と出会い、くされ縁(本人談)がスタートする。

 思い出深い阪神淡路大震災との遭遇。「神戸は教科書だった」と振り返る。神戸協同病院で「此処に留まって欲しい」という説得を辛くも振り切って今の外科副部長  医師がいる。現在の東京健生病院の外科は合併症を持つ高齢の患者さんの執刀が多く充分な配慮と緊張を要し、いきおいリスクも伴う。以前は術後経過を案じて深夜や休日も病院に駆けつける事が多く「先生はいつ寝るのですか?」と患者様から心配して戴くこともあったが、今は己が体力の限界もあり、セーブしている。
 大病院はリスクの高い患者を門前払いする傾向があり、働き盛りの単一の病の患者の急性期を効率的に廻していく。

 合併症を抱え回復にも時間を要する高齢者を親身になって丁寧に診る当病院の経営の厳しさは言をまたないが、神戸で学んだ「最も弱い立場の者にこそ」の精神でこの地で生き抜かねばと思っている。その為には「口を出し、金を出し利用する」組合員さんの力が大きな支えとなる。「最後まで健生病院でお願いします」と云う、患者様の信頼を力に頑張りたいと語る。
テニスはすでに生活から遠ざかり今は時間があれば子供(小三男子、四歳女児)と過ごすことにしている。妻と妹は看護師。

*さき:山偏に、立、その下に口とはねぼう。

****************************

聞き手*機関紙委員会担当理事